あらすじ|
元情報員の妻と姑の争い。フリーの配達人に託された謎の手紙。時空を超えて繋がる二つの物語。運命は変えられるのか。創作秘話を明かすあとがき収録。
シーソーモンスター -伊坂幸太郎 著|文庫|中央公論新社 (chuko.co.jp)
- 主人公は、地味なMR、北山直人。。ではない?
彼の妻、宮子の視点に立つことで、物語は全く違う様相を見せる - 絶対に仲良くできない人間と、距離を取ることが出来ない、離れることが出来ないとしたら?
この極限の問いに決着をつけるため、そして迫る悪意を消し去る為に、彼女は腐心する - 直人宮子夫妻は、平穏な家庭生活を手に入れられるのか…
感想|
ドキドキ 爽快 胸アツ 考える
それぞれの悩み
仕事に忙殺され、嫁姑問題に板挟みになり苦しむ夫、直人。
その当事者、嫁として姑の扱いに苦心する妻、宮子。
夫婦仲は良好。それだけにこの問題の解決を心から望んでいる。
そんな中、直人は先輩からいわくつきの仕事を引き継ぐ。
一方そのころ宮子には、次々とトラブルが降りかかるようになる。
シーソーが釣り合う時
タイトルを加味するなら、やはり宮子の視点で語るのが良いのだろう。
絶対に宮子に嫌味を言いたい義母、セツ。直人の母である。
絶対に屈したくない義娘、宮子。直人の妻である。
この二人は、お互いがお互いを思いやることは絶対にない。
セツは小さな糸のほつれのような綻びを見つけては、執拗に突き続ける。
逆に宮子は、攻撃する事こそ無いがその突きを避けて、逆にカウンターパンチをお見舞いしようとする、ファイターの姿勢を取る。
どちらかが仕掛けると(ほぼセツだが)、どちらかがやり返す(ほぼ宮子だが)。
シーソーみたく、どちらかに傾き続けることは無い。
そしてシーソーがそうであるように、釣り合って止まることも無い。
もう、誰がどう見ても、性格が、人間が、根本的に合っていない。
しかし、宮子は、上手くやれると踏んでいたのだ。
何故彼女はそう思っていたのか、そして何故こうも上手くいかないのか。
それを知るには、本編を読むのが良い。
そして、そのシーソーが釣り合う時は来るのか。
項目として書いてしまっているが、そんな時は来るのか。
そこも見どころの一つである。
そして、シーソーが釣り合う時とは、どんな時を指すのか。
話は変わるが、バトル漫画などで、今までいがみ合っていたライバルや敵と、主人公たちの目の前に、共通の敵が出てくることがある。
そいつを倒すために、主人公とそのライバルは手を取り合い、共闘するシーンが、たまにある。
NARUTOであればナルトとサスケ、金色のガッシュベルであればガッシュとブラゴ、デスノートであれば(記憶を失った)夜神月とL(違う)。
ああゆうシーン展開は、胸アツ展開と呼んで間違いないと思う。
何が言いたいかというと、この小説もそんなアツさを感じるということである。
答えを言ってしまったが、読んで欲しい。面白いから。
読み終えて
どうしたって仲良くできないやつ
いますよね、、
普段生活していて、そんな奴と出会ったとき、あなたはどうしますか。
私の場合は。
距離、取りますよね。
しかし、彼女はそうはいかないのです。
なぜなら、義母だから。。
壮絶な義母と娘の戦いが、幕を開けます。。
嘘です。絶妙に違います。
ただし、外れても無いです、なぜなら二人が最悪の相性であることは、この小説では欠かせない要素だからです。
この記事の副題とも結びついています。
もう一つ、特筆すべきは、本文の勢いです。特にアクションシーンの勢い。
もう、これ、毎回書いている気がする。とにかく良いんです。
ミッションインポッシブルを映画で見た時に感じる躍動感、あれを活字で感じさせてきます。
もはや、これ前に全く同じことを書いた気もします。
まあいいのです。大事なことは、何回も言うことが大事です。
後編のスピンモンスターはここでは割愛しますが、こちらも面白かったです。
略儀ではありますが、そのスピンモンスターで一番、心に残った言葉を紹介します。
冒頭語られたものです。
”記憶とは面白いもので、自然と忘れてしまうことはあっても、「このことは忘れてしまおう」と自らの意思によって忘れることはできない。”
この言葉が、物語を通して、ずっとかかっているというか、効いてくるんですよね。
水戸の記憶に効いてくるんです、、、っと、この辺にしておきましょう。
あと、発達しすぎた社会は逆にアナログに価値を見出すのではないか、という伊坂的読みも好きですねえ。
個人メール配送とか、なんか、ほんまにそのうちあるのでは、、と思ってしまいます。
思い返すと、モダンタイムスと重なるな。
シーソーモンスターでは、特に妻の特徴も含めて、モダンタイムス的です。
せっかくなので、過去に書いた記事を置いておきます。
また、本作を2週目したときに気付いたこともたくさんあって、「シーソーモンスターで書かれていたあの表記は、スピンモンスターでの、この場面を指していたのか!」とか、結構感じました。2度おいしかったです。
シーソーモンスターに戻ります。
最後に、また違った角度から私の心に響いた、北山直人の言葉を皆様に送って締めたいと思います。
「すみません」何に対してかは分からないがとっさに謝る。
「大丈夫ですかね」何を自分が心配しているのかは分からない。
ここは計算ではない、というジャッジがもう計算なのだが。
凄くね、、響きます。伝われ、誰かにこの思い。
読んだ方、共感してくれますよね、、
これが結構、サラリーマンには響きました。